大高酵素製品の中には、大学の医学部の先生方の協力を受けて開発されたものが多数あります。
消化酵素のオータカラーゼをはじめ、酵素の発酵方法にも発酵学を修めた先生方が関わっているそうです。
大高酵素製品は北海道で作られているので、地元の北海道大学の協力が大きかったとのこと。
ところで医学部といえば先日、熊本の阿蘇山に遊びに行ってきたのですが、

その途中、「木魂館」という巨大な敷地を持つ公営の宿泊施設がありました。
この施設のある阿蘇郡小国町は、日本医学会の巨匠、北里柴三郎さんのご出身の地だそうで、この施設は北里博士のモットーである、「学びと交流」をテーマにした施設とのことです。
巨大な芝生の広場の片隅に

一見、縄文時代のたて穴式住居かと思われる茅葺きのテントのようなものがあったのですが、近くにある説明書を読んでみると、「阿蘇山の広大な敷地で採草(家畜の餌となる草を集めること)をするために遠方から来た農家がこのテントを自力で作り、採草作業中にしばらく泊まっていた。昭和30年代までは、このようなテントが無数にあった」とのこと。昭和30年代というと、1955〜1964年だから、けっこう最近ですね。

中はかなり広く、6人くらいは寝泊まりできそうですが、これが60年くらい前まで現役の仮設住居だったとは驚きでした。自然をフル活用ですね。
消化酵素のオータカラーゼをはじめ、酵素の発酵方法にも発酵学を修めた先生方が関わっているそうです。
大高酵素製品は北海道で作られているので、地元の北海道大学の協力が大きかったとのこと。
ところで医学部といえば先日、熊本の阿蘇山に遊びに行ってきたのですが、

その途中、「木魂館」という巨大な敷地を持つ公営の宿泊施設がありました。
この施設のある阿蘇郡小国町は、日本医学会の巨匠、北里柴三郎さんのご出身の地だそうで、この施設は北里博士のモットーである、「学びと交流」をテーマにした施設とのことです。
巨大な芝生の広場の片隅に

一見、縄文時代のたて穴式住居かと思われる茅葺きのテントのようなものがあったのですが、近くにある説明書を読んでみると、「阿蘇山の広大な敷地で採草(家畜の餌となる草を集めること)をするために遠方から来た農家がこのテントを自力で作り、採草作業中にしばらく泊まっていた。昭和30年代までは、このようなテントが無数にあった」とのこと。昭和30年代というと、1955〜1964年だから、けっこう最近ですね。

中はかなり広く、6人くらいは寝泊まりできそうですが、これが60年くらい前まで現役の仮設住居だったとは驚きでした。自然をフル活用ですね。
| ホーム |